Color Atlas of Cancer Cytology の著者である高橋正宜先生とお話する機会がありました。私が細胞診を始めた1971年の7月にこの本が医学書院から出版されました。
定価は13,700円($38.00)、1ドルが360円の時代でしたので、当時月給が5万円足らずの小生にとっては高額な本でした。しかし、カラー写真がきれいなことと、英文であったことで迷うことなく購入しました。私にとって、細胞診を学ぶ上でのバイブル的一冊です。
高橋先生は昭和2年のお生まれですので、私が細胞診を始めた1971年当時はまさに日本の細胞診の牽引者のお一人であり、大変ダンディーでかっこいい病理学者、そんな印象をもっていました。私のような小僧には到底近寄りがたい存在でしたが、学会などでお会いした際にご挨拶すると、いつもにこやかな笑顔を返して頂いたことを嬉しく思ってきました。
先日、仕事の関係で「子宮頸癌検診器具製造所」の加藤才子氏にお目にかかる機会がありました。加藤式自己採取器具で知られた会社の社長さんです。
写真(左上)鈴木 裕専務 (右上)加藤才子社長(左下)椎名義雄 (右下) 高橋正宜先生
なんでも欧米で通用するからと言ってそのまま日本に持ち込んでも受け入れられるものではない。子宮頸がん検診はまさにその代表的なものであると考えています。日本の医療・性教育の考え方は決して欧米と同じではなく、自己採取法はまさに日本の国民にあった検診法の一つとして私は評価しています。そんなこともあって、加藤様とはお付き合いさせていただいています。お話の中に突如高橋先生のお名前が出てきました。そのことがきっかけで、高橋先生との面談がかなったのです。何と最初お会いしてから45年目の出来事です。
先生はお約束の時間丁度にお見えになりました。
後一ヵ月ほどで満90歳になられるとのことですが、しっかりした足取りでご自宅から歩いてこられたとのこと、大変お元気でした。コートを脱がれ、帽子をとるとサット髪を整えるお姿こそ、若き日のダンディーな先生そのものでした。
お食事を頂きながら和やかな時間を過ごさせていただきました。戦争当時のお話、鉄道病院時代、岐阜大学での教授時代、そしてSRLで副社長をして過ごされたお話し等々沢山聞かせて頂きました。そしてカバンの中から一枚の写真を取り出され、日本の細胞診を牽引されてこられた先生方との思い出話をしてくれました。写真やお話に登場した先生方は、信田先生、石束先生、山田喬先生、田島先生、野田定先生、長谷川先生、垣花先生、香月先生、で、私にとっても大変お世話になり懐かしい先生方ばかりでした。
そして「椎名君は武田先生の部下でよくやっていたよ。」・・・っと、優しい一言を頂きました。
この年になってこんな素晴らしいことが実現するとは思ってもいなかったことです。
高橋正宜先生におかれましては、これからもお元気で健やかな日々をお過ごしになられることをご祈念申し上げます。
また、このような機会を与えて頂きました加藤 才子様、鈴木 裕様に心より感謝申し上げます。
そして、加藤様におかれましても会社の益々のご発展とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
平成28年12月吉日
株式会社 アイ・ラボCyto STD研究所
所長 椎名義雄