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武田 敏先生をしのんで

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武田敏先生をしのんで

 

恩師の武田敏先生の訃報を知らされれました。

大変急なことでした。

 

思えば、45年程も前の話である。

臨床検査技師になったある日、“癌研”にサイトスクリーナー養成所(顕微鏡で子宮頸がんの検査をする検査技師)ができるというニュースを目にした。

田舎の小さな病院で働く私にとっては、夢のまた夢の話・・・。

しかし、私は病理系が苦手だし、化学が生きる道・・・と考えていた。

それでも、臨床検査技師が、顕微鏡で“がん”を診断する仕事は大変魅力的であった。

しばらくして、千葉市でサイトスクリーナー研究部会(勉強会)開催の知らせが来ました。

参加して驚いた。40-50名程の検査技師が県内から集まっていたのです。

講師は千葉大学産婦人科の武田 敏先生でした。細胞診断学に足を踏み入れた瞬間です。

講演終了後、ご挨拶だけでもと思いましたが、先生はすでに多くの方に取り囲まれていました。

何ヶ月かして、今度は船橋中央病院で勉強会が開催された。

参加してみると、受講者は意外に少なくなっていた。

武田先生にご挨拶すると、大学病院に来なさいと、優しく一言。

早速伺ってみると、そこには、癌研サイトスクリーナー養成所を卒業した先輩や現役の学生がいました。

千葉市まで片道40キロ。仕事が終わってから週3日通った。

細胞診の先生は堀内文男氏でしたが、武田先生は必ず顔を出してくれました。

その度と言っていいほど、一緒に食べた出前の天丼の味が忘れられません。

そして夜中の帰り道、追いはぎにあうこと3回。すべて無事に回避した。

その甲斐があってか、初めての挑戦で細胞診スクリーナーの試験に合格した。

その第一報は武田先生からで、電話の向こうでやさしく微笑んでくれている先生が見えるようでした。。

試験に合格したものの、化学人間の私にとって形態学は大変難しい。

ある時、“がん細胞だけが真っ赤に染まっている”夢をみた。それからしばらくの間、夢の中でどうしたら赤く染まるのか? どうしたら? の葛藤が続いていた。

そんなことを職場の医師(千葉大学第一内科)に話すと、武田先生が組織化学の権威であることを聞かされました。組織化学という言葉さえ知らなかった私、早速武田先生に、研究をしたい旨を伝えた。

一週間後、先生に会うとすでに研究のテーマは決まっていました。

それは「酵素組織化学の細胞診への応用」であった。

しかも、そのことを学会で発表せよとのことである。

(今では信じられないけど)人前で話す仕事だけには着きたくないと思っていた。

研究は嬉しいが、人前で話さなければならない不安が襲ってきた。

でもやってみると思いの外気持ちのいい経験であった。

何年かしたある日、突然、「私と一緒に性教育を勉強しませんか?」とのお誘いがありました。

先生のそばにいれば組織化学の研究ができるとの思いで、一つ返事。

性教育に関しては、先生のスケジュール調整、論文や投稿原稿の誤字脱字チェック、学生の相談内容のまとめ等々で、仕事の大半は私の研究に充てられた。

しかし、いろいろ実験したが、がんで赤く染まる酵素はなかった。

そんなある日、突然、「来週、日大の川生先生にご挨拶に行きます」との話。

何ってこった!・・・と思いつつも、酵素組織化学に限界が見えていたこともあって、免疫組織化学(酵素抗体法)はこれからの新しい方法なのでワクワクした思いであった。

日大第一病理では、川生明先生、根本則道先生にご指導いただき、「酵素抗体法の細胞診への応用」と題した論文をまとめることができた。武田先生の“先見の明”のおかげで、その後の研究に拍車がかかりました。

ある朝、一時限目の授業のため武田先生は既に出勤していました。そこに電話が!

「椎名君、杏林の勝目先生からですよ」と言って電話を渡されました。

懐かしい勝目先生の第一声は「約束通り、教員として帰って来い」の一言であった。

確かに杏林を卒業する時、「十年経ったら帰ってこい」と言われていました。

その一言が、自分の人生の大きな励みになっていたことは事実である。

“教員として母校に帰るのであれば研究をせねば”と、常に思っていた。

武田先生との出会いは、それを現実のものにする一歩だったのです。

だから性教育の勉強も無駄ではないとも話してくれました。

そんな武田先生ですので、勝目先生からの電話の内容は直感的に分かっていたようです。

「頑張っていてよかったな」と、大変喜んでくれました。

そして2年後、杏林大学保健学部助手として八王子校舎に赴任することになった。

武田先生から頂いた盛り沢山の愛情を学生達に返そうと決めていた。

ところが、ここ杏林大学保健学部には何一つ教材になるものはなかった。

しかし、武田先生の下で学んだ千葉の仲間達がたくさんいました。堀内文男氏、畠山良紀氏、多田彊平氏、長坂宏一氏皆さんのおかげで、何とか教育できたのです。

 クラミジアの封入体に関する研究も武田先生が持ち込んだテーマでした。

米国のグプタ先生がActa Cytologica にクラミジアの封入体に関する論文を掲載したのがきっかけであった。その後、グプタ先生が提示したクラミジアの“感染末期の封入体像”と言われる細胞を集めに集めました。

杏林大学に赴任したころ、すでに酵素抗体法を細胞診に導入する技術は確立していた。

研究材料が乏しい環境の中、今まで集めた“クラミジア感染と思われる封入体”を脱色して、酵素抗体法で一つ一つ確認することにした。

すると、グプタ先生が言われる封入体はことごとく陰性であり、クラミジアではないのではないか? という疑問がわいてきた。モントリオールで開催された国際細胞学会では、グプタ先生が報告したクラミジア感染による封入体は“粘液胞”ではないかという抄録を提出していた。

モントリオールに出発する3日前、たまたま観察していた標本に今まで遭遇したことのない細胞が目に飛び込んできた。すかさず写真を撮り、カバースリップにダイヤモンドペンで傷を付け、キシレンに浸して帰宅した。翌朝カバースリップはきれいに剥がれていた。パパニコロウ標本を脱色して酵素抗体法を施すと、何とばっちりクラミジアが染色されていた。学会ではこの封入体に「星雲状封入体=Nebular Inclusion」と名付け報告した。

この内容をActa Cytologica に投稿し、後に医学博士の学位を取得することができました。

考えてもいなかった医学博士の学位、武田先生に感謝です。

そのことが発端となり、講師から助教授に昇進、1998年国際細胞学会細胞検査士アワードを受賞したたことで教授になった。お祝いの席で、武田先生が杏林大学に戻してよかった・・・と、そして、杏林大学松田理事長に深々と頭を下げ、感謝の意をお伝えになったお姿に胸が締め付けられる思いであった。

今年の7月、私の愛弟子薮崎宏美が日本性感染症学会主催の千葉市での勉強会に出席した際、お元気そうな武田先生をお見掛けしたそうで、とても安堵していました。

 弟のように可愛がって頂き、心より感謝申し上げるとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

私の最後の仕事として、「病院での検査が苦手な人にも公平な検診の機会を!」と題したテーマに取り組み、自己採取法の普及による検診受診率80%を目指し、先生から頂いた愛をみんなにお返ししたいと思います。

ありがとうございました。

 

平成28913

株式会社 アイ・ラボ Cyto STD 研究所

代表取締役 椎名義雄